行きますので宜しくお願いします」という電話があった。
私は、わりと目立つ駅に近い道路沿いの場所で建設、不動産の仕事をしている。
今日は土曜日なので△部長に連絡できない。
翌日日曜日、一人で留守番をしていると、突然私の前にその男があらわれた。
一瞬、たじろいだ程あやしい風貌をしていた。
とはいえ、大事な△部長のご紹介のお客様なので応接にお通しして
まずはお話をお聞きする事にした。
40才台前半の無精ひげをはやしやせて小柄で汗臭く、ヨレヨレの布のかばんを
大事そうに持ちながら、キョロキョロと事務所の中を観察している。
やがて、おびえた様にぼそぼそと話し始めた。
現在、所沢の自宅兼事務所でコンピューターソフトの開発の仕事を
していて、今回以前お世話になった△部長が勤める会社のコンピューター
システムの改修をすることになり、仕事場兼仮住まいを探して欲しいとの事。
趣味が車で事務所に飾ってあるフェラーリF40のプラモデルを指差して
「あれ、前乗ってましたけど故障が多くて今はポルシェ911です。
やっぱりポルシェはいいですね」
だんだんと口が滑らかになっていく。
「PCはNECが安心ですよ、とめごろうさんもNECファンですか?」
「20年前は日本語のマニュアル本が無くて英語から勉強しましたヨ」
私も多少は理解できるし車とコンピューターの話をここまで共有できる人は
周りにはあまりいない、当然会社のPCはNEC。
無精ひげも、汗臭いのもコンピューターソフト開発の仕事なら理解もできるし
理解したかった。
ちょうど空いたばかりの希望に合った物件があったのでご案内したら
簡単にこれで良いとの事。拍子抜けするほどの上客だ!
さらに、今日は着手金として10万円払いますと言いながら、
胸に手をやり財布を探している、面倒なので1年分の家賃を明日持ってきますので
契約して欲しいとのこと、あ〜お友達になりたい。
しばらく胸ポケットや布かばんの中をごそごそと探していたが突然青ざめた
表情になり、先ほど案内されたアパートに財布を落としたようだと声をふるわした。
私はあわてて彼とアパートに戻ると玄関前に空っぽになった財布が
落ちていた。
事務所で警察やカード会社に電話している様子を見ていて責任を感じていた時
彼の奥さんの親戚から電話があった。なんと奥さんが秋田の親戚の家に向かう途中で
交通事故に遭い瀕死の重症だという。
何年か前にグランドキャニオンで小型飛行機が墜落して一瞬にして
両親と兄弟を失ったという身の上話を聞かされていた。
なんと運の悪い気の毒な人だろう。
彼はすぐに搬送された病院に電話をして容態を聞いている。かなり危険なようだ。
目には涙をためて声が震えている。
私も気が動転して一緒に涙ぐみながら「早く奥さんの所に行ってくれ」と
5万円を渡して彼を見送った。
もちろん、その後なんの音沙汰も無く、彼が書き残した連絡先は実在しなかった。